後半戦;アメリカ(CA州)での運転免許習得への道のり。

 前回の続きです。

ruru0924.hatenablog.com

 

Secondary reviewの手続きをしてください、と言う話から。

 

ペーパーテストを受けた5days business day後に本部へのDMVへ手続きのための電話を入れました。

状況を一通り話すと「証拠としてAB60のために提出した書類はなんですか」と聞かれたため『パスポートとI-94、マッリッジサティフィケートとバンクからの手紙とインシュランスカンパニーからの手紙です』と答えると「You don't need to take the process, everything is perfect. You'll be approved your situation!」と返答がありました。要するに、やはり私のリサーチ情報の方が正しく、出向いたDMV職員が正しく状況を把握していなかったことが発覚しました。不思議と怒りはなく(ゼロかと言ったら嘘)、次のプロセスを電話をくれた人に確認。3週間以内に本部のDMVから仮免と手紙(正しいプロセスを踏んでいるのでSecondary interviewは必要ないと言う一筆が書かれているもの)が送付されるのでそれが届き次第実技試験の予約が取れるよ、と言うことでした。

 

 

 

The 安堵。

 

 

そして無事にその旨の手紙と仮免が2週間ほどで届き、実技試験の予約を取りました。

 

第1回目は6月末。

数あるDMVの中から家に一番近いところではなく、20分先にある一番最新のfacilityを選択。なぜなら旦那の猛プッシュがあったから。

練習は試験前日に旦那と一緒に周囲を運転し、注意点を数カ所確認したのみ。

当日はものすごい緊張で試験前に2回もトイレへ行き、旦那がイライラすると言う失態を犯したほどでした。

さて。路上へ出発!と言う前に...試験官から複数の注意点を伝えられ、車の構造のテストとハンドシグナル(手信号)をチェック。

結果はというと路駐の際に縁石に思いっきりぶつかってしまったため(テクニカルアウト;一発アウトのミス)、不合格に。

30年間生きてきた人生の中で一度きりともあらゆる試験に落ちたことがなかった私は人生で初めての不合格をもらい、ダメ人間のスタンプを押されたような気持ちになってしまい、大号泣で旦那に八つ当たり。悔し涙が止まらなかった。仕事を早く切り上げてついてきてくれた旦那にも申し訳なかったわけです。

 

第二回目の予約は1ヶ月後の7月末。

前回と同じところのDMVを選択。練習は1度もすることができない状態で臨む。

緊張×2。トイレ回数2回。前回と同様の緊張レベル。

試験官は女性の人で見た目すら怖い。そして旦那が「俺落とされた人だ、気をつけてね、彼女はタフな人だから」と余計な情報を入れてくる始末。

前回と同様のプロセスから始まり、路上へ。今回は路駐もバッチリ!でしたが、カリフォルニア州で認められている赤信号の右折の際に安全確認+3秒ストップということを知らず、安全確認したのみで発進したことと、ストップサインで3秒止まらなかったこと、Bumpサインでスピードを落とさなかったことが原因で試験から「もっと練習するように、はい、不合格」と言われました。

Holly s****!

再度不機嫌になり、旦那に八つ当たり。だって、アメリカだと16歳の子ですら運転免許取れるわけなのですよ、てか実際とってるし。なのになのに、なぜ私は取れない?30歳、いろんな苦労を乗り越えてここまで生きてきました。なのになのに、なぜ私はこうも落ち続ける?悔し涙はすでに1回目で枯れた。今回は怒りが止まらなくなる。

実技試験に3回落ちたら次はもう一度ペーパーテストからなのです。

もう後がない。

プラスアルファで、怒りもピークに達しており、次の予約を取る際に自宅から一番近いDMVのFailityを選択しました。もうここで受けたくない!という怒りの気持ちと(練習を一度もしなかった自分が悪いのは重々承知)近場なら練習できるという気持ちに火がついたわけです。一番新しいFacilityだろうが大きいFacilityだろうが関係ねえ。私は一番自宅から近いところを選択してやる、誰がなんと言おうがだ!という強い信念のもと試験会場を変更しました。

旦那は呆れモードで、パーソナルインストラクターを雇ったらどうか、と提案してきました。調べたところ2日間×3時間で360ドル。(約4万)高い、無理。ということで却下。

 

 

第3回目は約2ヶ月あいて9月中旬でした。

決戦の日は金曜日。月曜日から試験日の金曜日まで毎日DMVへ出向し、練習してやりました。自分でDMV周囲を走り、注意事項を確認に確認を重ねました。毎日2時間ほど練習しまくった。道で迷子になった先で見つけたアイスクリーム屋さん(すごく美味しかった)にも通いつめた。笑 でもそのおかげで、DMV周囲の様子はバッチリ覚えたし、路駐も何度も練習したため路駐マスターになりました。

そして迎えた決戦日の朝。この日の予約は午前中で旦那がどうしても抜けられない仕事があったので、旦那の友達についてきてもらいました。(今更ですが、試験は仮免保持者のものが一人で行くことができないので、カリフォルニア州のドライバーライセンス保持者が同伴でなければいけません。)これが良かったのかも。笑

始まる前まで世間話をしながら、プレッシャー少なく、楽しく時間を過ごしました。トイレへ行った回数はたったの1回。

試験官はご年配のちょっとふくよかな女性の方。車に乗った瞬間、車が揺らいで、少しドキドキした私。前回、前々回と同じような流れで試験始まり、運転ルートも山を張っていたルートが大当たりし、5日間通いつめ、見慣れた、走り慣れているルートを走るだけだったので気持ち楽に運転することができました。試験官の女性の方は隣でフーフーと荒い息をしていて、看護師である私としては何かしらの発作を起こしてるんじゃないかと気になって仕方がなかった。笑

結果は合格。計15点までのミスが許されていますが、私は11点のミスをしていました。(自分的には完璧な運転だと思っていたから少し残念だった)

合格した瞬間涙ポロリ。試験官に「何泣いてるの?」と言われたので「嬉しくって泣いてるんです」と言ったらはあ?みたいなリアクション取られました。

無事に合格し、AB60として試験を受けていた間に(4ヶ月もかかった。笑)グリーンカードが手元に届いたため免許証をREAL IDとして申し込みできないか相談したところ、できるよー!とのことだったのでそのままStatusを変更してもらい、無事にREAL IDとして免許証をゲットできました!この日のDMVの職員さんは本当に優しくて親身的で丁寧な方々でした、そして面白かった。アメリカンジョーク炸裂。

補足ですがREAL IDとは米国市民や永住権を持つ移民、各種ビザを持つ合法的な外国人居住者に発行される運転免許証や身分証明書のことです。国内線航空機の搭乗、米軍基地や連邦政府施設、原子力発電所に出入りする際にこのIDの提示が求められ、これを持っていない人は2020年9月30日までに切り替えする義務があるものです。

 

もしグリーンカードが手に入る前に試験にパスしていたら、この手続きをまたやらないといけない羽目になってたという2度手間な訳だったのです。

 

色々あったけど良かった。

 

長くなってしまいましたが、この経験を通して試験に落ちるという挫折感を人生で初めって味わいました。負けん気が人2倍強い私にとっては心が痛いことだったけれど必要なことだったのかな、とも思います。

達成感が半端なかった。やりきったぞーっていう。

心もぱあああと晴れ、胸張って運転できるようになりました。(渡米してから試験に合格するまでは国際免許証を使っていました。)

 

ID提示を求められる時もドヤ顔で運転免許証を提示しています。

 

挫折感を味わうのはものすごく辛かったけど、トランポリンと同じで下に落ちれば落ちるほど飛躍力が出るわけだから、高くジャンプできる日が近いってことなんだよね。

努力ももちろん必要。

でも、もっと大事なのは挫折感に押しつぶされてもういいや、って投げやりになるよりも自分なんかって自分を自分でいじめないで、自分を自分で励まして凹んだ気持ちをプッシュアップしてあげることなんだと思った。そして美味しいものを食べたら、はい、終了。努力できる自分に生まれ変われるから。

 

あと、こうやってネタにできた。笑

今では大笑い話。

これでよし。