日本での仕事のこと。
私は自分の仕事にすごく誇りを持っていました。
そもそものアメリカ留学を決めた理由も自分のキャリアアップのため。
私は看護師をしています。
大きい病院で5年働いてアメリカ留学を決断。
理由は緩和ケアを勉強したいから。とかっこいいことを言ってみるけど実際のところの理由はなし、です。はい、なんとなく、です。
何か変えたかったのかな。当時の心境はそんなところ。
今思えばよくもまあ決断したものだ。決断してわずか3日後には申し込みしてた。
今の職場と繋がるまでは、ほんと必然だったことなのかな、と今になっては思います。
アメリカ留学に向けてお金を稼がないといけなくなり、仕事の他にアルバイトを始めました。友達が訪問看護ステーションの所長をしていて、働きたいと言ったら、あっさりいいよーって。それから本職の傍、訪問看護を始めました。これがまあ、ハマる。
病院の看護とは大きな違いがあって、患者さんがあってのオーダーメイドの看護が存在する。
病院だとオーダーメイドの医療はない。病院のやり方・方針に沿ったパッケージが存在する。そのパッケージに患者さんを合わせる。これはこれで、早期退院という目標に沿ってのプランだから急性期の病院の方針としてはあってる。
私は入職時に急性期あってるなー、好きだしやりがいあるなあと思っていたけれど、訪問看護の世界をチラリしてから終末期に対しての看護観が一気に変わり、魅力的になりました。
今思えばなにゆえにこんなに終末期に魅力を感じたのだろうかと思うけど、きっと在宅にあっての終末期が好きなのだと思いました。
私が仕事をしてて常日頃から思っているのは誰一人として同じ最期はない。
人間って唯一同じことが「生まれる」と「死ぬ」ことのみであって、その中間は誰一人として同じ人はいないわけであって。双子であったとしても違う。
その人がどう生きてきたかが最期の瞬間に出る、というか。
誰かのそばに居続けるってすごく精神力も気力も体力も必要なことだけど、最期に大切な人を見送れた後の幸福感って何ものにも変えがたいこと。
話は大きく逸れましたが、このアルバイト時代のつながりで帰国後に再度、所長をやって居た友達に働けない?と聞いたら、「週3日うちで働くっていう約束だったら」と別のステーション(現在の職場)を紹介してもらって、現在の職場の管理者の方と話をしたらもう秒殺でここで働きたい!と思い、「友達のところでは働きませんので週5で雇ってください」という華麗な裏切り(笑)があり、現在までに至っております。
この職場でたくさんの患者さんと出会って、
たくさんの人の人生と最期を看て、
私の中でもたくさんその人の人生を考えて、
白黒ばかりではなくグレーでもその方とご家族が「納得」した答えだったらそれもありなんだ、と思えました。
白黒つけたいことばかりだったけど、この経験でこの世界は白黒だと思って居た私の価値観が180度変わって実はグレーばかりなのかもって思えました。
スタッフのみんなにも恵まれました。みんないい人。
私、幸せなんだなあって思った。
アメリカ行ってもこの仕事は続けたいし、私にとってこの仕事は私が私であるために必要なことだからやりたいことリストの一つ。
そのために現在NCLEX(アメリカの看護師国家試験)の勉強中です。
のらりくらり進めばいいもんね。
Lulu.