帰国後の生活の日々
こんばんわ。
下町ロケット面白いですね。
今日は、帰国後の生活をお話させてもらいます。
帰国した当初の日本の感想「おもちゃ箱みたい!」
ビックサイズに慣れていたからか、日本の見る全ての物のサイズ感が小さく感じてしまっていたことを思い出します。
そうそう。帰りの飛行機は悲しい、寂しい思いでいっぱいで仕方なかったことを思い出した。映画を5本連続で見て、寂しい・悲しい気持ちを映画のせいにして自分で自分をごまかしながら号泣していました。(でも機内食はしっかり食べる)
自分で帰国を決めたはずなのに「人生の不可抗力」に勝てなかった自分がどうしても嫌だった。後々、「不可抗力とは戦わなくていいんだ」と学ぶことになったのですが、それまでの私は本当に「不幸だ」とばかり思って、自分と環境を責め、嘆き、暴れ(笑)ていました。
帰国して、まず始めにしたことは国民健康保険を取得すること、でした。
うーん。高いね、国保は。
国保を取得した目的は・・・歯医者。(アメリカでは歯科は保険適応外だからクリーニングも検診もできなかったからね。)
帰国後初めて食べたものはTKG!と母親の豚汁ときゅうりの浅漬け。
生卵は絶対アメリカでは食べられないから、卵かけご飯は帰国後一番に食べたかったものでした。あと母親の豚汁は私の大好物。
あと携帯事情。帰国後当日は夜20時頃だったので携帯繋がっておらず。
しかも渡米前にとっておいた○コモのSIMカード紛失。
よって翌日○コモへ行って再契約しSIMを再発行していただく。(渡米前に携帯番号は残しておくことにしていました。月300円ほどでできます。)
そして1ヶ月ほど実家に身を潜める。(泣いて、寝て、食べての繰り返し)
テレビも面白くない、というよりもテレビを見てて日本語が聞こえてくることに対しての違和感が私にとって強すぎてテレビを見ることができなかった。そのため即Netflixへ加入をする。(しばらく無気力状態が続く。)
でも、このままじゃいけないと思って、友人のつてをたどり職探し。
1週間ほどで面接までにたどり着く。(割と早かった)
緊張もあり、帰国後にきちんとした日本語を話していない・聞いていないこともあり完全なルー大柴状態。自分でも何言っているのか自分でわからなくなる始末。
それでもとてもいい上司の方にめぐり合い、好条件で雇ってもらえることに。
このタイミングでたまたま友人が引越しを考えていたこともあり、同居しようという話になり、都内に家もすぐに見つかる。
ぽんっぽんっぽんっとことが進む。
でも気持ちは追いついてなかった。(この時の私は生活することに必死すぎて自分の気持ちに気づいてあげることができていませんでした)
その半年後に頑張りすぎ病(いわゆる抑うつ状態)になってしまうのですが、そのお話はまた後日。
それでもせっせと生きて今に至っていることに感謝です。
ここまで来れたのは本当にたくさんの良縁に恵まれたからだなあと思っています。
私にしか結べないご縁というものがあって、私だから結べたご縁というものがあって。
タラレバじゃないんだけど、
もしこのタイミングで帰国していなかったら
大好きなおじいちゃんの最期を看取ることも
大切な人の存在感に気づくことも
自分の存在が大事だということも
自分を認めてあげるということも
自分を大切にするということも
これは自分の人生だと思えるということも
グレーゾーンは存在するということも
これでいっかと思えることも
不可抗力と戦う必要はなくて、流されてもいいと思えることも
できなかったんだなあ・・・と思う。
この「帰国」は私の人生のターニングポイントと言ってもいいぐらい大きな意味を持った1年間になりました。
全てのことに意味はある。
もし環境が変わってしまって不安に思っていたり、悲しい・寂しい思いをしている方がいたら、今の私だったら自信持って言ってあげられる。
どんなに悲しいことも苦しいと思うことも悩んでいることも必ず意味がある。
今はいまに集中する。
結果に向かって努力すると評価がつきまとうから、
結果に向かって頑張るよりも今をベストに生きてみる。
そしたら気づいて振り返った時にちゃんと自分の足跡になってる。
I,My,Me,Mine
そうそう。大事なのは「あたし」ね。
Lulu.