年の瀬にしんみりと。

またまた日が空いてしまいました。

タイムラインに更新があったので記載したいと思います。

 

2018.03 上旬    I-129F作成開始

2018.04 中旬 I-129F(やっと)提出

2018.04.23      UCSICから受理したよってメールが彼に届く

2018.05 下旬 彼がNOA1を受け取れなかった。再度送付してもらう。

2018.06 中旬 NOA1(やっと)受理

ここからが長いです。

2018.10.16      NCVからI-797[NOA2]が届く。

2018.11.18 日本在アメリカ大使館から届くはずのインストラクション通称”パケット”が1ヶ月過ぎても届かない。みんなのブログを見てると大体2週間以内には受け取っているから心配になったし、NOA2の紙に『30日以内に連絡なかったら連絡ちょうだいね』って書いていた。彼に早急にNCVに連絡するよう指示を出し、してもらったところ『16日にケース処理が終わったところ』と言われたとのこと。

2018.11.28 NCVから『東京大使館にレター送ったからね』と彼にメールあり。

2018.12.07 アメリカ大使館のCECSが「Ready」になった。

2018.12.16 10日過ぎたがパケット届かず。大使館にメールで確認。

2018.12.18 大使館から「住所が間違っていたので大使館に手紙が戻ってきています」と返答あり。大使館にもう一度住所を送る。

2018.12.22 母からパケットが届いた、と報告が入る。

2018.12.22 DS-160作成し、ビザ面接予約とる。

2018.12.26 警察署で渡航許可証の申請と聖母病院で健康診断を受けてくる。(Tdとインフルエンザのワクチンを同時接種してきました)

 

えーっと、8ヶ月経ってますねえ。(しみじみ)

 

今日は母への思いが強い日。パケットを受け取ってくれたり、母子手帳を見たり、昨日実家に帰った時にさりげないクリスマスをしてくれてたからかな。

 

私の母はとても若くして私を産みました。

母も一人の人間、完璧じゃない。わかってるけど私が幼少期から思春期、大学時代にかけて母に対してあまりいい感情は持っていませんでした。

 

母は美容師をしていて休みがなくていつも忙しそうにしていたこと、私が思春期の時にギャンブルにハマってほぼ家にはいませんでした。大学の時もギャンブルするお金がないから頂戴、と実家から離れたところに一人暮らしをして学費と生活費をアルバイトと奨学金で自力でまかなってギリギリの私に悪びれもなく、ほぼ毎日連絡をしてくるような母でした。そんなもんだから、とりあえず自分が国家試験を取るまで連絡を取るのをやめようと思って3年間着信とメール拒否をしていたことがあるぐらい「敵」と思っていました。

 

両親に金銭的な援助や物資面での援助を受けているクラスメイトがすごく羨ましかったのをよく覚えてます。高校の時もそうだった。受験・試験となるとみんな親からのサポートがある子たちが、すごく羨ましかったことを覚えてます。なんで自分は違うんだろうっていう思いが、何でもないようでいて、実はずーーーっと心の中にしこりとして大人になっても残ってた、ということが最近判明したんですけどね。

 

大人になって、少しずつ母との距離感がわかってきて、少しずつコミュニケーションをとるようになりました。私は小さな頃から大人でいないといけないって心のどこかで思っていたから未だに母親への甘えかたは分からないんだけど、このままでいてもいいのかなって最近は思っています。

 

タイムラインにも書いてあるんですけど、今回のパケット受け取りそびれ事件は結局フィアンセがI129の時に住所の番地をすっぱ抜けて記載していたから起こったことでした。でも私は、パケットが届かないことに苛立っていたこともあって、何も悪くない母を責めてしまったんです。その時にその感情のままに流され30年分の思いをぶつけてしまいました。「あの時こうして欲しかった、こうされて嫌だった」「親はいないと思って今まで一人で頑張ってきた、頑張らざるを得なかったんだ」という思いを初めてカミングアウトしました。言えなかったことを言えたことによる安堵感と大人でいなければいけないと思い続け、それを続けてきた今までの私が一気に崩壊してしまったような喪失感で1日中泣いてました。心が重くて体も動けない、無気力な1日だった。

 

でも、母は電話越しに私のカミングアウトをずっと聞いたあとポツリと一言。

「毎日ポストを開けるたびに手紙が届いていないとお母さんもがっかりするんだよ」

って。母もパケットが届かないことを案じてくれており、その母の思いを想像すると涙が止まらなかった。その手紙が届いたら娘は海外に行ってしまうということを分かりながらも同じ気持ちでその手紙を待ってくれてる母はきっと複雑な気持ちだったんだろうな、と。なのに八つ当たりをしてしまった私。思いっきり大人げなかった。

 

そして健康診断に必要な母子手帳を見て私が生まれる前と後の数年の記録を知る。

母が私が生まれる前にどんな思いでいたのか、予防接種を漏れなく受けさせてくれていたこと、成長の記録をどんな風に思っていたのかを知った。

 

さらに昨日実家に帰宅した時に、大好物の肉じゃがを作って待ってくれていて、クリスマスだからってスーパーのチキンとショートケーキを買って待っててくれて、お風呂の準備もしてくれてた。

 

私、気づいた。

母の愛に気づかなかっただけなのかなって。見えてなかっただけ。見ようとしてなかっただけ。

 

今までの長い間心の中で育ててきたしこりがカミングアウトをできたことで、少し浄化されたような気がした。その後苦しかったけど、カミングアウトのおかげで母が私に送ってくれていた無償の愛に気づくことができた。

 

歪んだレンズが矯正されたような感じ。

初めて眼鏡をかけて、あー、世界ってこんなに明るかったのねって気づくのと同じような感覚。

 

渡米前に大切なことに気づけてよかった。

 

常に特攻隊みたいに前進することが人生だって思っていきてきたけど、

一つ一つの出来事を味わって、自分の中で消化してあげて、受容してあげる。

 

そしたら今の自分がいるのは過去の自分がいたからって気づくこともできる。

 

ああ、実は私もらってたわ。って。

 

母は母だ。今までもこれからも。

年末家に帰ったらちゃんと感謝伝えよう。

ありがと、ごめんねって言おう。

 

 

 

Lulu.