渡米準備中で頭痛あり。
今日は医療関連の話になってしまっています。
今日は歯医者に行ってきました。
様々聞くとは思いますが、アメリカは医療費が高額。
歯医者さんには定期検診に行ってきたのと、お目当の歯磨き粉をゲットしに。
(余談になりますが、アパガードさんから出ている、リナメルという歯磨き粉が神すぎる件について。磨いた後のツヤ感がまず圧倒的に違う。ホワイトニング効果がある。コーティング力がハンパない。値段も歯磨き粉にしてはなかなか良いのですが、おすすめです。渡米時、ため買いしてでも持って行きたい一つ。)
薬事法関連でアメリカの歯磨き粉は日本の薬事法よりも多くの種類・量の薬剤を使用できるので、結論から言うと「強め」です。実際のところ、アメリカ滞在時にアメリカの歯磨き粉を使用していたところ、歯のエナメル質が薄くなり、歯肉が少しやせてしまい、知覚過敏状態になってしまいました。それで日本に帰ってきてすぐにしたことが歯医者へ行くこと。でした。
あとは、現在、保険を選んでいます。
と言うのも多くの方から話を聞くのも「保険問題」
確かに、前回のアメリカ留学時も留学先の学校の保険に入ってるから(保険加入は強制でした)個人の保険はいらないよね。って思っていて、保険に入らないでいようかな(高いし、出費は抑えたいから)と思っていました。そんな折に、先にカナダ留学していた子から「保険は個人で絶対に入っていた方がいい」と言われ、土壇場で保険加入しておきました。これが非常に功を奏しましたねー。渡米先で起こる小さなハプニングにもこの保険のおかげで痛手を負わずにすみました。学校が強制加入している保険では、学校が指定した診療所しか受診できず、英語に自信がないなあと思っている方では「主訴」をうまく伝えられなかったり変なお薬をもらってしまったりします。こんな時に個人加入している保険があれば、「日本語を話せるスタッフがいる病院」「日本人のドクター」に診てもらえるクリニックで診てもらうことができます。
やはり、皆保険ではない国だからこそ、医師もクリニックも全て保険次第、と言うことでしょうか。
そして現在探しているのはFor Fiance visaの保険です。
アメリカに着いてから旦那の保険に加入するまでのプロセスでマリッジサティフィケートを取得し、それが郵送されてくるまでの時間orSSNをゲットし、自分で仕事をしてそのユニオンに加入し保険を確保するまでの期間、私は無保険になってしまうからです。バースコントロールピルを内服していたりする私にとって無保険は結構怖い。
果たして私の保険の種類は何になるんだろうと思い、少しリサーチを進めて行く中で「K1VISA専用」の保険がある!!
値段や保証もそのパッケージによって様々なので吟味必要です。
ほんでもって、大使館からのパケットがまだ届かない件に関して。
CEACを確認したところ『Ready』になってました!これは、パケットの準備ができたから、パケット受け取ったら活動始めてねーって言うやつ。日付を見るとわりかし早めに変わっていましたが現在まで、パケットを受け取っていません。モヤモヤ半端ない。焦りすぎなのかなあ。週明けに大使館に電話してみようかな。
そして、旦那が膝の靭帯を損傷して手術を受けて、本来なら週明けから仕事できる予定だったがSecond examinationで1月中旬まで仕事できないねって言われたらしい。
え、その間どうするの?みたいな。
日本に来たら?と言ってみた。航空券調べてたりしてたけど、来る気あんのかな。
いいなー、長めの冬休みや。羨ましい。
渡米前の準備として大事なこと。仕事を今月いっぱいで退職します。
本当に恵まれた職場だと思っています。帰国後のダメ人間を続けてたあたしをここまでサポートしてくれて本当に感謝です。渡米ギリギリ前まで働かせてくれて本当に感謝。この職場でこのご縁に包まれていなかったら私の人生変わってたと思います。
あれがあったから今がある。
それがあるから今がある。
私だったから今の私がある。
色々あったけどもう少し。
Lulu.
帰国後の生活の日々
こんばんわ。
下町ロケット面白いですね。
今日は、帰国後の生活をお話させてもらいます。
帰国した当初の日本の感想「おもちゃ箱みたい!」
ビックサイズに慣れていたからか、日本の見る全ての物のサイズ感が小さく感じてしまっていたことを思い出します。
そうそう。帰りの飛行機は悲しい、寂しい思いでいっぱいで仕方なかったことを思い出した。映画を5本連続で見て、寂しい・悲しい気持ちを映画のせいにして自分で自分をごまかしながら号泣していました。(でも機内食はしっかり食べる)
自分で帰国を決めたはずなのに「人生の不可抗力」に勝てなかった自分がどうしても嫌だった。後々、「不可抗力とは戦わなくていいんだ」と学ぶことになったのですが、それまでの私は本当に「不幸だ」とばかり思って、自分と環境を責め、嘆き、暴れ(笑)ていました。
帰国して、まず始めにしたことは国民健康保険を取得すること、でした。
うーん。高いね、国保は。
国保を取得した目的は・・・歯医者。(アメリカでは歯科は保険適応外だからクリーニングも検診もできなかったからね。)
帰国後初めて食べたものはTKG!と母親の豚汁ときゅうりの浅漬け。
生卵は絶対アメリカでは食べられないから、卵かけご飯は帰国後一番に食べたかったものでした。あと母親の豚汁は私の大好物。
あと携帯事情。帰国後当日は夜20時頃だったので携帯繋がっておらず。
しかも渡米前にとっておいた○コモのSIMカード紛失。
よって翌日○コモへ行って再契約しSIMを再発行していただく。(渡米前に携帯番号は残しておくことにしていました。月300円ほどでできます。)
そして1ヶ月ほど実家に身を潜める。(泣いて、寝て、食べての繰り返し)
テレビも面白くない、というよりもテレビを見てて日本語が聞こえてくることに対しての違和感が私にとって強すぎてテレビを見ることができなかった。そのため即Netflixへ加入をする。(しばらく無気力状態が続く。)
でも、このままじゃいけないと思って、友人のつてをたどり職探し。
1週間ほどで面接までにたどり着く。(割と早かった)
緊張もあり、帰国後にきちんとした日本語を話していない・聞いていないこともあり完全なルー大柴状態。自分でも何言っているのか自分でわからなくなる始末。
それでもとてもいい上司の方にめぐり合い、好条件で雇ってもらえることに。
このタイミングでたまたま友人が引越しを考えていたこともあり、同居しようという話になり、都内に家もすぐに見つかる。
ぽんっぽんっぽんっとことが進む。
でも気持ちは追いついてなかった。(この時の私は生活することに必死すぎて自分の気持ちに気づいてあげることができていませんでした)
その半年後に頑張りすぎ病(いわゆる抑うつ状態)になってしまうのですが、そのお話はまた後日。
それでもせっせと生きて今に至っていることに感謝です。
ここまで来れたのは本当にたくさんの良縁に恵まれたからだなあと思っています。
私にしか結べないご縁というものがあって、私だから結べたご縁というものがあって。
タラレバじゃないんだけど、
もしこのタイミングで帰国していなかったら
大好きなおじいちゃんの最期を看取ることも
大切な人の存在感に気づくことも
自分の存在が大事だということも
自分を認めてあげるということも
自分を大切にするということも
これは自分の人生だと思えるということも
グレーゾーンは存在するということも
これでいっかと思えることも
不可抗力と戦う必要はなくて、流されてもいいと思えることも
できなかったんだなあ・・・と思う。
この「帰国」は私の人生のターニングポイントと言ってもいいぐらい大きな意味を持った1年間になりました。
全てのことに意味はある。
もし環境が変わってしまって不安に思っていたり、悲しい・寂しい思いをしている方がいたら、今の私だったら自信持って言ってあげられる。
どんなに悲しいことも苦しいと思うことも悩んでいることも必ず意味がある。
今はいまに集中する。
結果に向かって努力すると評価がつきまとうから、
結果に向かって頑張るよりも今をベストに生きてみる。
そしたら気づいて振り返った時にちゃんと自分の足跡になってる。
I,My,Me,Mine
そうそう。大事なのは「あたし」ね。
Lulu.
fiancé VISA タイムライン
私が他の方々のブログに非常に助けられた内容といえばこの内容。
『フィアンセビザのタイムライン』
進捗状況ってやつですね。
2018.03 上旬 I-129F作成開始
2018.04 中旬 I-129F(やっと)提出
2018.04.23 UCSICから受理したよってメールが彼に届く
2018.05 下旬 彼がNOA1を受け取れなかった。再度送付してもらう。
2018.06 中旬 NOA1(やっと)受理
ここからが長いです。
2018.10.16 NCVからI-797[NOA2]が届いていた。(またもや彼はその日のうちに受け取れなかった、なぜなら引っ越したばかりでポストの鍵を前住居人から受け取れなかったから)よってその手紙に気づいたのは発行後から10日後の26日。
2018.11.18 日本在アメリカ大使館から届くはずのインストラクション通称”パケット”が1ヶ月過ぎても届かない。みんなのブログを見てると大体2週間以内には受け取っているから心配になったし、NOA2の紙に『30日以内に連絡なかったら連絡ちょうだいね』って書いていた。彼に早急にNCVに連絡するよう指示を出し、してもらったところ『16日にケース処理が終わったところ』と言われたとのこと。
2018.11.28 NCVから『東京大使館にレター送ったからね』と彼にメールあり。
I-129Fが最初の関門でした。お互いFace to faceじゃないし遠距離だから喧嘩するわ、思いは伝わらないわ。何度も「その気がないならこのプロセスやめよ」と思ってもいない暴言を吐いて彼を困らせるは、お互いに良い雰囲気は流れてなかった。
お互いのいいところも悪いところも露見するわけです。
例えば私はスーパーせっかちで早く何事も終わらせたいんだけど、間違いがちょいちょいある。彼はのんき。超マイペースだけど、すごい慎重。確認作業が得意。この彼の性格のおかげで「書類に不備」があっての返納的なのはなかった。
だから書類をバーって作ったり写真を集めたりIntent marry letter を作ったりする作業は私がして、修正を彼にしてもらうことでこのI-129Fは乗り越えました。(弁護士いなくてもできた!)
私自身が気持ちを変えましたね。彼ばっかりに頼るのは良くない、彼がケツ叩いても動かないなら私が動こう!って思ってから完成、提出までが早かったです。
大変だったけど絆が深まった感じあります。
余計なお話を一つ。
Proof of relationshipで写真を複数枚提出しないといけないんですが、私たちこのプロセスにたどり着くまでの流れで実は一度別れていたんです。だからその時にアメリカ在住中の彼との写真を全て削除していたため共通の友達からデーターを集めるところから始まりました。でも、その写真たちを見ることでいろんなことを思い出すことができて楽しかったな。
例えば、喧嘩したまま行ったお花見で彼が「写真は撮らない、楽しくないのに笑えるもんか」と子供みたいなことを言い出して怒っていたけれど一緒に行った彼の大親友が「撮ろうよ、せっかくだから」と促してくれてようやく撮った一枚。
まさかの彼、無表情ってゆう。わら
確かに。笑わない宣告してたわ。
USJでスポンジボブと一緒にジャンプしている一枚。(だって第三者が写っているといいって言ってたもん・・・)
などなど・・・おふざけ気味の写真も含め5枚程度提出しました。
Picture is louder than words.
Lulu.
授業はじまる。
一番最初のクラスに衝撃をうける。
日本の学校とはシステムが全くもって違う!
テレビで見てたやつ!が一番最初の感想。
みーんな自由。
先生もラフ。机の上にフツーに座ってる。
クラスの決まりごとは先生ごとに違いますが全ての先生が言っていたのは
「Don't use phone during class」
当たり前だよねーとか思っていたら大間違い。
当時SnapChat(通称:スナチャ)が大流行していた。
スナチャが何か?と思いでしょうが、授業中にセルフィーが始まる。
これにはアラサーおったまげる。
先生、使うなって言ってたどころかセルフィーしてる・・・。
先生も知ってるのかどうかわからないけど、見て見ぬ振りの先生もいれば、怒る先生もいたなあ。
クラスの時間はクラス内容によって全然違います。
選べる科目もクラスのレベルによって全然違います。
グラマー(文法)は共通でしたが、リスニングやスピーキング、カンバセーションは本当に選択次第でした。人気科目は争奪戦になることも。
先生によってクラス変更をしていた人もいたけれど、そのぐらい先生も千差万別。
ホームワークが全くない先生もいれば鬼のようなホームワーク量を提出するように言ってくる先生もいました。
アジア人はちゃんとホームワークやってました。さすが。
当日の朝にクラス中の子に見せてとお願いしてやっている子もいました。
テストはセミスター(3ヶ月ごと)にあって、それで成績が決まります。
基本的にカンニング行為には厳しいアメリカです。カンニングが発覚したら「Kick off」と言って国追放ですね。学校どころでは済まされない。
なのに。
平気でカンニングするお国柄の方々もいるわけで。
明らかにバレバレで先生も「携帯しまえ」とお怒りなのに「携帯出してない」と言い張る子もいました。それか「昨日子供が熱出しちゃって勉強できなかった」と言い張る子もいました。Excuseが非常に得意。
私は大学付属のELSに9ヶ月いたところで、コミュニティカレッジに転校しました。
理由は飽きたから。
コミュニティカレッジは当時かなりマイナー化していて、非常に少人数でした。
日本人は私だけでした。
13人しかいないクラスなのに、全員国籍が違いました。年齢もバラバラ。
宿題は大学付属以上に山盛りでしたが、レベルが高かったです。先生は厳しいけどすごく優しい先生が多かった。(3人だけでしたが)
授業料は圧倒的に安いです。4ヶ月のセミスターで大学付属のELSよりも10万近くお安い。
Lulu
色々ありましたが。
ブログを始めたのが2016年。
現在2018年がもはや終わろうとしています。
3日坊主ならぬ1日でブログを終えていた私。さすが。
えーっと。
この3年間で様々なことがありましたが人生は実に予測ができない事態ばかり起こりますね。3年前に知り合った彼と紆余曲折を繰り返しながら360度回って、結婚することになりました、はい。
現在、婚約者ビザ申請中でかれこれ1年弱待っているような気がします。
私たちは弁護士を使わずに自分たちでやりました。(理由はお金をかけたくなかっただけです。)
今週の水曜日、彼宛にNCV(National Visa Center)からメールが届き、東京アメリカ大使館にレター送ったからね!と。いう嬉しい報告がやっと届いた。ここに来るまで9ヶ月!彼と最後に会ったの去年の12月。もう一年たつ・・・。早いなあ。
振り返ってみると、何度も心が折れそうになりながら、道行くカップル・ファミリーをいいなあと思いつつ、寂しさと戦いながら自分と向き合った1年だなあ、と思います。
なんせ最後に書いていたブログが、「授業はこんな感じです」からいきなり3年経て「移民ビザ待ちです」だから読んでくれている方としては意味不明ですよね。すいません。笑
このブログを再度書こうと思った理由は、
少しでも私の経験が誰かの力になってくれればいいなあと思ったからです。
2016年から2017年半ばまでアメリカにいて、同棲していた当時の彼(現在のフィアンセ)と籍をそのまま入れようとしていたのですが、私の心が「NO」と叫び、彼に無言で帰りのチケットを購入して帰国をしてしまいました。当時の私としては、一時帰国ではなく、もう彼の元を去ろうと決めていました。今思えばすごく大事な決断をしたな、と思います。(後日ブログ内で詳細を記載できたらいいなと思います。)
かっこよく去ったつもりが、帰国後半年後に抑うつになってしまう。
これがターニングポイントでした。
これがなかったら、私成長できていなかったと本当に思います。
鬱になってよかった!と言うわけではありませんが、ここで私が私として存在価値を1年かけて再認識できたのだと思います。「私は私でいい」と思えた。
そして今、すごく平穏な日々を過ごしています。
そして今、国際結婚に向けて波風立たせぬように、とゆったりと構えて準備をしています。
今日、カウンセリングの先生に言ったんです。
「私の経験が何かしら力になればいいと思っています、私は文章を書くのが小さい頃から好きだったし、表現することも好きだったなあって思い出して。ブログとか・・・ブログ?私そういえばやってました、遠い昔に1日だけ」
先生は言ってくれました。
「またやってみたらいいんじゃないでしょうか。1日しか続かなくてもいいんじゃないですか。やってみることに意味がありますからね。」
そうそう。まずはやってみよう。
Lulu
学校はじまる。
ここに到着してから3日後に学校が始まりました。
学校の場所はすごく分かりにくいところで、日本人のルームメイトの子が説明してくれないと本当迷子なっちゃうような場所。(説明されても超絶スーパー方向音痴なあたしは後に迷子になるという)
しかも朝の8時集合。
緊張とジェットラグとルームメイトのいびきとホームシックでこの3日間眠れてないわたしにとっては地獄というか目も頭も肩も重くて太陽も受け付けられないのに重労働をしなければいけない奴隷のように思えた。
迷子になりながらもなんとか到着。
最初の日はオリエンテーションのみでした。
アジア人とサウジアラビア人でほとんど人口を占めていました。
あちらこちらから日本語が聞こえてきて、日本?と勘違いしちゃいそうになったぐらい。
とにかく若い子たちが多い!
そりゃそうだ。留学だもんね。と言い聞かせる。
ここであたしが思ったことは、年齢をサバ読もう。っていうこと。笑
しかも微妙な3歳下に言うとか。笑
まあ、そのうち公開処刑並みの勢いでバレましたが。それでも笑仲良くしてくれた若いみなさんにほんと感謝。
次の日にプレイスメントテストと言って、クラス分けのテストがありました。
[文法、リスニング、ライティング]の3科目。
はい?
でした。完全に。
周りでは鉛筆のコンコン音が凄まじくて。あーこれ夢に出てくるやつだわ、って思ってた。
そんなこんなで1週間は本当にオリエンテーションばかりでした。もちろん英語。すべて。
内容キャッチしきれてない不安を抱えつつもなんとかなる、と変な自信だけは満々で。
でも確かに言えることは毎日クタクタでした。
ほんと。
食べ物も買いに行く元気もなければ、自炊する元気もない。
今なら緊張と慣れない言語に必死にフォーカスしてるからだったんだと分かるんだけど、当時は全くそう思えなくて。
体力なくなったな。若くないんだな、もう。
体力づくりしよ。
と更にランニングを始めるという始末なのでした。笑
本当にあたしは大事な核心に気づくのがいつも遅い。全てのことにおいて。
大人になればなるほど先のことを読むようになるよ、と誰かが言っていた。
仕事してるときは、先のことを読めているような気がしてた。いや、読めていたと思う。
でも、今仕事から離れて、プライベートのこととなると全くもって読めていない。むしろ現時点のリアルすら見えていない人間なのだ、わたしは。ということに気づいた。
これは新たな自分の発見でした。
SanDiegoに到着してからのこと。
到着直後の感想。
寒い!
SanDiegoは暖かいと聞いていたけど、さすが3月だけあって寒い…。
あたしリサーチ不足(地球の歩き方を出発前日に購入するぐらい何も知らなかった)もあり、完全にハワイを想像していたら全くもって違う。
日本の3月はすごく寒くて、でもSanDiegoは暖かいでしょ〜とばりの格好をしていたので、凍えてました。
でも、天気は快晴!
海と空の色が一緒!!
これには感動した。
そして、日本からあらかじめ予約していたハウジングの人が空港まで迎えに来てくれて、
いよいよハウジングへ。
ホームステイは選ばず、ルームシェアの家へ直行。
車の運転手さんがやたら怪しい人で不安だったけど、携帯のプリペイドSIMカードをちゃんと説明してくれたりと紳士的な人でした。
ちなみに携帯は事前に日本でSIMフリーのiPhoneを購入ずみ。10万だったかな…。高い。
そして日本の電話番号は残したまま使用できないように成田空港で設定してきました。
完璧!と思ったのもつかの間。
これが事件へと発展するんです。
SIMカード購入するまで使えない=Wi-Fi環境にないといけない
とのアイディアが全くなく。
アメリカはWi-Fi環境整ってる!という情報が事前にあったし、スタバ行けばなんとかなるーって思ってたけれども、実際のところは来たばかりで家の周辺環境が分からない。Google map使って調べたい!けどWi-Fiないから使えない。
家にある備え付けのWi-Fiに繋ごう!と思ったけどパスワード分からない、出国前に届いてたメールに添付されてるパスワードを見よう!と思ったけれどPDF添付のためWi-Fiが必要、開けない。
ルームメイト帰ってこない。
パニック。
最終判断としてJeddaもあったので少し寝ることに。そしたらルームメイト帰ってくるかな〜と淡い期待を持ちながら。
夜8時。
誰も帰ってこない。
迷ったあげく、目の前のルームをノック。
ドキドキです、もう。
台湾の子が出てきたのでつたない英語でWi-Fi繋げられずパニックなので、Wi-Fiを少しの間だけ貸して欲しいとお願いする。
快く承諾してくれたうえにこんな野蛮な者に対してお茶まで出してくれた。
完全孤独を感じてたあたしには女神にみえた。
そして!やっとWi-Fiに繋げれた!!家族、友達に連絡できた!!
孤独から脱出できた瞬間でした。
そして悟りました。
東京にいるときは時々携帯なんて必要ないと電源を切ったりして自ら孤独を好み過ごしていたわたしでしたが、今となっては携帯というものの重要性、そして携帯の中に繋がりたい人が入っているのだ…と。
夜10時ぐらいになりようやくルームメイトが帰宅。ドイツ人と中国人の可愛らしい女の子たちでした。そして、日本人の子も!だけど彼女は旅行に行っていて、2,3日帰ってこない、と。のちにこの子にすごく助けられることとなりました。
その次の日、早速Google mapで調べ上げたスーパーへプリペイドのSIMカードを買いに行く。
しかし。
どれがいいのか何が一体どうなっているのかもはやプリペイドのSIMカードって何?レベルのIT時代に全くもってついていけないわたしが選べるわけがない!しかも平均40ドル。しかも数が多すぎる。どこの会社のがいいのかもすら分からない。
お店の人に聞いたが、すごく塩対応で、
「その棚、自分で選んで。」
とだけ。
嘘でしょ。
早速アメリカカルチャーに洗礼受けました。
とりあえず適当に選んで、家に帰ってWi-FiつないでLINEつないで、そこんとこ詳しい友達に相談。なんとかやるが、PINコードだのなんだのと分からない。全くもって分からない。
格闘すること半日。もはや深夜2時。
Jeddaで寝られないうえに、ルームメイトのイビキが最強すぎて寝られないうえに、携帯使えないうえに、塩対応されたがゆえに、日本に帰りたいとわずか1日滞在で思う始末。
到着後3日後に、ようやく携帯がWi-Fi環境下でもなく、電話も使えるようになりました。
でも今だにどうやってできたのか覚えてない。
最初はNET10というプロバイダーのSIMをゲットしました。
だけどこのNET10というのが、電話をメインにする人用のプロバイダーらしく、電波がまったくよくない!なのでわずか1ヶ月後にT-Mobilへ変更しました。
ああ、わたしはインターネット社会に生きてるんだな、と痛感。
携帯使えないだけで孤独感になるわたしなんだと少し寂しくなった体験でした。
全部あたしの準備不足が招いたことなんですけどね。