国際遠距離恋愛を振り返る。

明けましておめでとうございます。

年末年始は久しぶりにテレビとお友達になってコタツの中でぬくぬく過ごしました。

紅白と日テレを行きつ戻りつしながら「嗚呼、これぞ日本の年末」と感じました。

 

星野源さんのideaを聞くと、半分、青いを反射的に思い出してしまうような感覚で日本の年末を過ごしていました。

 

テレビばっかりを見ていたから、CMを目にする機会もありまして。

最近やっているJTのCM。モンゴル800のキヨサクさんが歌をオリジナルで歌っているやつです。「想うシリーズの第2弾」です。

遠距離になってしまったカップルを描いているのですが、これを見た瞬間に号泣。

すっっっごいね、気持ちがわかるのよ。

私もみんなに散々聞かれました。

「遠距離?大丈夫?」

それでこう答えるしかなかった。

「全然平気、大丈夫」

 

はい。正直に言います、全然大丈夫じゃなかった、自分ときちんと向き合って、自分はこのままでいいんだって思えるまでは。

 

昔と比べて、今は携帯もパソコンもあるから大丈夫でしょって言う人もいるけど、会いたい時に会えない。時差が違うから私がお昼はあっちが夜。私が夜ならば相手は昼。時間のすり合わせが大変だった。

私が特にパンチを食らっていたのは道端や街中のカップルを見るたびです。

人の幸せを幸せだねって思えない自分に自己嫌悪になる。

upsetして彼に電話するも出ないとそれがfrastrationになる。出るまで電話をする、をモットーにしていたスーパークレイジーな時期もありました。それで怒られることも度々ありました。(でもめげないで連チャンコールをする。笑)

JTのCMでもあったんだけど、メッセンジャーを何回も開いて既読になってるかどうかを何度も確認したりしてた。既読にならないと不機嫌になる。

それで、彼に八つ当たりというか「なんでテキスト返さないの?」「浮気してた?」「別れる」っていう失礼な発言を繰り返す。彼も最初の方はすごく頑張ってくれていたけど、そうだよ、疲れるよ。人間だもん。

そして、遠距離になってから10回目ぐらいの私からの「別れる」コールでお互い連絡を取ることをやめました。SNSも全部ブロック。本気のやつ。

 

全然いいこと書いてないですね。笑

でもこれがリアルでした。笑

 

連絡を絶って3ヶ月ぐらい経ってから、私の誕生日に彼から連絡が来ました。

 

この3ヶ月で10人の外国人の方々とデーティングをしていたけど、やっぱり彼がいいなあと思っていたので返信をしてみることに。

 

でもこれがきっかけになって、また前みたいに毎日連絡とるようになって、彼から「やっぱり結婚してほしい」と言われたので12月会ってから決めたい、とお返事をして12月に会った時に正式なプロポーズを受けました。答えはイエス

 

自分の中でたくさん考えた。愛とは何か、結婚とは何か、国際結婚とは、私は移住して彼と幸せになれるの?とか。

考えた結果。

分かんなかった。答え出なかった。だから考えるのをやめてみた。

一緒にいたいから結婚する。

これでいいのかなって思った。

私が今も幸せなら、どこにいようと幸せ。

つまりは、幸せは私の気持ちの持ちよう次第。人生も幸せも私次第だから彼がいようといなかろうが変わらないのな。

 

こう思えてからすごく生きやすくなった。頭の中がネガティブな妄想でいっぱいにならなくなったんです。前みたいに出るまでかけます、電話は。みたいなクレイジーモットーは消え、(たまに発作あるけど。笑)メッセンジャーの既読確認も全くしなくなりました。今となっては連絡取らない日もたまーにあるぐらい。

あー連絡ないなあって思う日もあるけど、仕事行ったら頭がきちんとスイッチできるようになって、まあいっか。って思えるようになった。

過去に囚われて不安を自分で作り出すのではなく、

未来のあらぬことを妄想して不安を自分で作り出すのではなく、

今目の前にあることを大事にして小さなことに幸せを感じてみる。

寂しいなって思ったら誰かを頼るのもいいけどその前に自分の感情を味わい尽くす。味わって味わって味わって浸って、浸って、浸って悲しい映画見たり、面白いテレビ見たりしてスッキリしてみる。「涙活」っていうやつなのかも。

自分の感情を第三者の自分で見てみる。

そして今に集中をする。自分がすべきことは自分を守ること。大事にすること。

 

自分を信じる、とか大事にするって意味がずーっとわからないまま生きて来たんだけど、最近少しわかるようになって来た気がする。

簡単に言えば自分が「あ!これがしたい!」って思ったことは無条件に受け入れてみる。条件並べてやるかやらないか決めるんではなくて、wantだったらする。

「嫌な予感がする」「気持ち悪い」と思ったことは避ける、しない。

自分の直感を信じる。

そして、不可抗力と戦わないこと。頑張らない。

 

マインドシフトは1日じゃだめ。行きつ戻りつ毎日のトレーニング。

 

自分が安定してくると自然と様々な関係も自然と安定してくる。

彼を自分の寂しさを埋めるための道具として使わなくなる。

彼に愛情クレクレ星人じゃなくなる。

自分で自分を幸せにしてあげる、リラックスできる方法が見つかってくる。

ありのままの自分でいいんだって思えたら、もう怖いもん知らず。

 

こうなってくると、遠距離に感謝できる。

遠距離があったおかげで大事なことに気づけた。まずは自分から。

遠距離って悪いことだけじゃない。

小さなことに感謝できるようになって、小さなことに愛情を感じるようになる。

周りのカップルがしている当たり前が当たり前じゃないことに気づいて、羨ましいと何度も思ったり、会いたい時に合える関係に嫉妬してしまったりする、するよ。全然大丈夫じゃないのに大丈夫なんていう言葉を使って自分を大きく見せてしまったりすることもある。他人の幸せを喜べない自分もいる、いるよ。

隣の芝生は正に青い。

半分、青い、的な。笑

でも大事なことは私はちゃんと私の恋愛をしているんだって自覚すること。

そうしたら、相手に感謝も生まれる。

連絡が苦手なタイプなのにきちんと連絡とるように努力してくれるところとか。

一緒にいて、会えるということは当たり前のことじゃないんだなあって気付かされたり。

ささやかなことに喜べる、幸せを感じれるようになった。

愛情を過剰に求めない努力は必要。断捨離と一緒。

会えない溝に愛はきちんと流れてる。

 

愛情は目に見えないから気づくのに難しい。

だけど見ようと努力するときちんと見える。

 

何かを見て相手のことを思い出すのは愛情の一つ。

 

結論

 

距離を考えるよりも自分の感情と付き合ってみる。

だって一番長くお付き合いを続けている人って自分だもん。

 

これから遠距離になってしまう人も今遠距離な人も思い出して欲しいです。

 

あなただけじゃないよーって。

 

 

Lulu.

 

 

 

 

年の瀬にしんみりと。

またまた日が空いてしまいました。

タイムラインに更新があったので記載したいと思います。

 

2018.03 上旬    I-129F作成開始

2018.04 中旬 I-129F(やっと)提出

2018.04.23      UCSICから受理したよってメールが彼に届く

2018.05 下旬 彼がNOA1を受け取れなかった。再度送付してもらう。

2018.06 中旬 NOA1(やっと)受理

ここからが長いです。

2018.10.16      NCVからI-797[NOA2]が届く。

2018.11.18 日本在アメリカ大使館から届くはずのインストラクション通称”パケット”が1ヶ月過ぎても届かない。みんなのブログを見てると大体2週間以内には受け取っているから心配になったし、NOA2の紙に『30日以内に連絡なかったら連絡ちょうだいね』って書いていた。彼に早急にNCVに連絡するよう指示を出し、してもらったところ『16日にケース処理が終わったところ』と言われたとのこと。

2018.11.28 NCVから『東京大使館にレター送ったからね』と彼にメールあり。

2018.12.07 アメリカ大使館のCECSが「Ready」になった。

2018.12.16 10日過ぎたがパケット届かず。大使館にメールで確認。

2018.12.18 大使館から「住所が間違っていたので大使館に手紙が戻ってきています」と返答あり。大使館にもう一度住所を送る。

2018.12.22 母からパケットが届いた、と報告が入る。

2018.12.22 DS-160作成し、ビザ面接予約とる。

2018.12.26 警察署で渡航許可証の申請と聖母病院で健康診断を受けてくる。(Tdとインフルエンザのワクチンを同時接種してきました)

 

えーっと、8ヶ月経ってますねえ。(しみじみ)

 

今日は母への思いが強い日。パケットを受け取ってくれたり、母子手帳を見たり、昨日実家に帰った時にさりげないクリスマスをしてくれてたからかな。

 

私の母はとても若くして私を産みました。

母も一人の人間、完璧じゃない。わかってるけど私が幼少期から思春期、大学時代にかけて母に対してあまりいい感情は持っていませんでした。

 

母は美容師をしていて休みがなくていつも忙しそうにしていたこと、私が思春期の時にギャンブルにハマってほぼ家にはいませんでした。大学の時もギャンブルするお金がないから頂戴、と実家から離れたところに一人暮らしをして学費と生活費をアルバイトと奨学金で自力でまかなってギリギリの私に悪びれもなく、ほぼ毎日連絡をしてくるような母でした。そんなもんだから、とりあえず自分が国家試験を取るまで連絡を取るのをやめようと思って3年間着信とメール拒否をしていたことがあるぐらい「敵」と思っていました。

 

両親に金銭的な援助や物資面での援助を受けているクラスメイトがすごく羨ましかったのをよく覚えてます。高校の時もそうだった。受験・試験となるとみんな親からのサポートがある子たちが、すごく羨ましかったことを覚えてます。なんで自分は違うんだろうっていう思いが、何でもないようでいて、実はずーーーっと心の中にしこりとして大人になっても残ってた、ということが最近判明したんですけどね。

 

大人になって、少しずつ母との距離感がわかってきて、少しずつコミュニケーションをとるようになりました。私は小さな頃から大人でいないといけないって心のどこかで思っていたから未だに母親への甘えかたは分からないんだけど、このままでいてもいいのかなって最近は思っています。

 

タイムラインにも書いてあるんですけど、今回のパケット受け取りそびれ事件は結局フィアンセがI129の時に住所の番地をすっぱ抜けて記載していたから起こったことでした。でも私は、パケットが届かないことに苛立っていたこともあって、何も悪くない母を責めてしまったんです。その時にその感情のままに流され30年分の思いをぶつけてしまいました。「あの時こうして欲しかった、こうされて嫌だった」「親はいないと思って今まで一人で頑張ってきた、頑張らざるを得なかったんだ」という思いを初めてカミングアウトしました。言えなかったことを言えたことによる安堵感と大人でいなければいけないと思い続け、それを続けてきた今までの私が一気に崩壊してしまったような喪失感で1日中泣いてました。心が重くて体も動けない、無気力な1日だった。

 

でも、母は電話越しに私のカミングアウトをずっと聞いたあとポツリと一言。

「毎日ポストを開けるたびに手紙が届いていないとお母さんもがっかりするんだよ」

って。母もパケットが届かないことを案じてくれており、その母の思いを想像すると涙が止まらなかった。その手紙が届いたら娘は海外に行ってしまうということを分かりながらも同じ気持ちでその手紙を待ってくれてる母はきっと複雑な気持ちだったんだろうな、と。なのに八つ当たりをしてしまった私。思いっきり大人げなかった。

 

そして健康診断に必要な母子手帳を見て私が生まれる前と後の数年の記録を知る。

母が私が生まれる前にどんな思いでいたのか、予防接種を漏れなく受けさせてくれていたこと、成長の記録をどんな風に思っていたのかを知った。

 

さらに昨日実家に帰宅した時に、大好物の肉じゃがを作って待ってくれていて、クリスマスだからってスーパーのチキンとショートケーキを買って待っててくれて、お風呂の準備もしてくれてた。

 

私、気づいた。

母の愛に気づかなかっただけなのかなって。見えてなかっただけ。見ようとしてなかっただけ。

 

今までの長い間心の中で育ててきたしこりがカミングアウトをできたことで、少し浄化されたような気がした。その後苦しかったけど、カミングアウトのおかげで母が私に送ってくれていた無償の愛に気づくことができた。

 

歪んだレンズが矯正されたような感じ。

初めて眼鏡をかけて、あー、世界ってこんなに明るかったのねって気づくのと同じような感覚。

 

渡米前に大切なことに気づけてよかった。

 

常に特攻隊みたいに前進することが人生だって思っていきてきたけど、

一つ一つの出来事を味わって、自分の中で消化してあげて、受容してあげる。

 

そしたら今の自分がいるのは過去の自分がいたからって気づくこともできる。

 

ああ、実は私もらってたわ。って。

 

母は母だ。今までもこれからも。

年末家に帰ったらちゃんと感謝伝えよう。

ありがと、ごめんねって言おう。

 

 

 

Lulu.

 

 

 

 

 

日本での仕事のこと。

私は自分の仕事にすごく誇りを持っていました。

そもそものアメリカ留学を決めた理由も自分のキャリアアップのため。

 

私は看護師をしています。

大きい病院で5年働いてアメリカ留学を決断。

理由は緩和ケアを勉強したいから。とかっこいいことを言ってみるけど実際のところの理由はなし、です。はい、なんとなく、です。

何か変えたかったのかな。当時の心境はそんなところ。

今思えばよくもまあ決断したものだ。決断してわずか3日後には申し込みしてた。

 

今の職場と繋がるまでは、ほんと必然だったことなのかな、と今になっては思います。

アメリカ留学に向けてお金を稼がないといけなくなり、仕事の他にアルバイトを始めました。友達が訪問看護ステーションの所長をしていて、働きたいと言ったら、あっさりいいよーって。それから本職の傍、訪問看護を始めました。これがまあ、ハマる。

病院の看護とは大きな違いがあって、患者さんがあってのオーダーメイドの看護が存在する。

病院だとオーダーメイドの医療はない。病院のやり方・方針に沿ったパッケージが存在する。そのパッケージに患者さんを合わせる。これはこれで、早期退院という目標に沿ってのプランだから急性期の病院の方針としてはあってる。

私は入職時に急性期あってるなー、好きだしやりがいあるなあと思っていたけれど、訪問看護の世界をチラリしてから終末期に対しての看護観が一気に変わり、魅力的になりました。

 

今思えばなにゆえにこんなに終末期に魅力を感じたのだろうかと思うけど、きっと在宅にあっての終末期が好きなのだと思いました。

私が仕事をしてて常日頃から思っているのは誰一人として同じ最期はない。

人間って唯一同じことが「生まれる」と「死ぬ」ことのみであって、その中間は誰一人として同じ人はいないわけであって。双子であったとしても違う。

その人がどう生きてきたかが最期の瞬間に出る、というか。

 

誰かのそばに居続けるってすごく精神力も気力も体力も必要なことだけど、最期に大切な人を見送れた後の幸福感って何ものにも変えがたいこと。

 

話は大きく逸れましたが、このアルバイト時代のつながりで帰国後に再度、所長をやって居た友達に働けない?と聞いたら、「週3日うちで働くっていう約束だったら」と別のステーション(現在の職場)を紹介してもらって、現在の職場の管理者の方と話をしたらもう秒殺でここで働きたい!と思い、「友達のところでは働きませんので週5で雇ってください」という華麗な裏切り(笑)があり、現在までに至っております。

 

この職場でたくさんの患者さんと出会って、

たくさんの人の人生と最期を看て、

私の中でもたくさんその人の人生を考えて、

白黒ばかりではなくグレーでもその方とご家族が「納得」した答えだったらそれもありなんだ、と思えました。

 

白黒つけたいことばかりだったけど、この経験でこの世界は白黒だと思って居た私の価値観が180度変わって実はグレーばかりなのかもって思えました。

 

スタッフのみんなにも恵まれました。みんないい人。

私、幸せなんだなあって思った。

 

アメリカ行ってもこの仕事は続けたいし、私にとってこの仕事は私が私であるために必要なことだからやりたいことリストの一つ。

そのために現在NCLEXアメリカの看護師国家試験)の勉強中です。

 

のらりくらり進めばいいもんね。

 

Lulu.

渡米準備中で頭痛あり。

今日は医療関連の話になってしまっています。

 

今日は歯医者に行ってきました。

様々聞くとは思いますが、アメリカは医療費が高額。

歯医者さんには定期検診に行ってきたのと、お目当の歯磨き粉をゲットしに。

(余談になりますが、アパガードさんから出ている、リナメルという歯磨き粉が神すぎる件について。磨いた後のツヤ感がまず圧倒的に違う。ホワイトニング効果がある。コーティング力がハンパない。値段も歯磨き粉にしてはなかなか良いのですが、おすすめです。渡米時、ため買いしてでも持って行きたい一つ。)

 

薬事法関連でアメリカの歯磨き粉は日本の薬事法よりも多くの種類・量の薬剤を使用できるので、結論から言うと「強め」です。実際のところ、アメリカ滞在時にアメリカの歯磨き粉を使用していたところ、歯のエナメル質が薄くなり、歯肉が少しやせてしまい、知覚過敏状態になってしまいました。それで日本に帰ってきてすぐにしたことが歯医者へ行くこと。でした。

 

あとは、現在、保険を選んでいます。

と言うのも多くの方から話を聞くのも「保険問題」

確かに、前回のアメリカ留学時も留学先の学校の保険に入ってるから(保険加入は強制でした)個人の保険はいらないよね。って思っていて、保険に入らないでいようかな(高いし、出費は抑えたいから)と思っていました。そんな折に、先にカナダ留学していた子から「保険は個人で絶対に入っていた方がいい」と言われ、土壇場で保険加入しておきました。これが非常に功を奏しましたねー。渡米先で起こる小さなハプニングにもこの保険のおかげで痛手を負わずにすみました。学校が強制加入している保険では、学校が指定した診療所しか受診できず、英語に自信がないなあと思っている方では「主訴」をうまく伝えられなかったり変なお薬をもらってしまったりします。こんな時に個人加入している保険があれば、「日本語を話せるスタッフがいる病院」「日本人のドクター」に診てもらえるクリニックで診てもらうことができます。

やはり、皆保険ではない国だからこそ、医師もクリニックも全て保険次第、と言うことでしょうか。

 

そして現在探しているのはFor Fiance visaの保険です。

アメリカに着いてから旦那の保険に加入するまでのプロセスでマリッジサティフィケートを取得し、それが郵送されてくるまでの時間orSSNをゲットし、自分で仕事をしてそのユニオンに加入し保険を確保するまでの期間、私は無保険になってしまうからです。バースコントロールピルを内服していたりする私にとって無保険は結構怖い。

果たして私の保険の種類は何になるんだろうと思い、少しリサーチを進めて行く中で「K1VISA専用」の保険がある!!

値段や保証もそのパッケージによって様々なので吟味必要です。

 

ほんでもって、大使館からのパケットがまだ届かない件に関して。

CEACを確認したところ『Ready』になってました!これは、パケットの準備ができたから、パケット受け取ったら活動始めてねーって言うやつ。日付を見るとわりかし早めに変わっていましたが現在まで、パケットを受け取っていません。モヤモヤ半端ない。焦りすぎなのかなあ。週明けに大使館に電話してみようかな。

 

そして、旦那が膝の靭帯を損傷して手術を受けて、本来なら週明けから仕事できる予定だったがSecond examinationで1月中旬まで仕事できないねって言われたらしい。

え、その間どうするの?みたいな。

日本に来たら?と言ってみた。航空券調べてたりしてたけど、来る気あんのかな。

いいなー、長めの冬休みや。羨ましい。

 

渡米前の準備として大事なこと。仕事を今月いっぱいで退職します。

本当に恵まれた職場だと思っています。帰国後のダメ人間を続けてたあたしをここまでサポートしてくれて本当に感謝です。渡米ギリギリ前まで働かせてくれて本当に感謝。この職場でこのご縁に包まれていなかったら私の人生変わってたと思います。

 

あれがあったから今がある。

それがあるから今がある。

私だったから今の私がある。

 

色々あったけどもう少し。

 

Lulu.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰国後の生活の日々

こんばんわ。

下町ロケット面白いですね。

 

今日は、帰国後の生活をお話させてもらいます。

 

帰国した当初の日本の感想「おもちゃ箱みたい!」

ビックサイズに慣れていたからか、日本の見る全ての物のサイズ感が小さく感じてしまっていたことを思い出します。

 

そうそう。帰りの飛行機は悲しい、寂しい思いでいっぱいで仕方なかったことを思い出した。映画を5本連続で見て、寂しい・悲しい気持ちを映画のせいにして自分で自分をごまかしながら号泣していました。(でも機内食はしっかり食べる)

 

自分で帰国を決めたはずなのに「人生の不可抗力」に勝てなかった自分がどうしても嫌だった。後々、「不可抗力とは戦わなくていいんだ」と学ぶことになったのですが、それまでの私は本当に「不幸だ」とばかり思って、自分と環境を責め、嘆き、暴れ(笑)ていました。

 

帰国して、まず始めにしたことは国民健康保険を取得すること、でした。

うーん。高いね、国保は。

国保を取得した目的は・・・歯医者。(アメリカでは歯科は保険適応外だからクリーニングも検診もできなかったからね。)

帰国後初めて食べたものはTKG!と母親の豚汁ときゅうりの浅漬け。

生卵は絶対アメリカでは食べられないから、卵かけご飯は帰国後一番に食べたかったものでした。あと母親の豚汁は私の大好物。

あと携帯事情。帰国後当日は夜20時頃だったので携帯繋がっておらず。

しかも渡米前にとっておいた○コモのSIMカード紛失。

よって翌日○コモへ行って再契約しSIMを再発行していただく。(渡米前に携帯番号は残しておくことにしていました。月300円ほどでできます。)

 

そして1ヶ月ほど実家に身を潜める。(泣いて、寝て、食べての繰り返し)

テレビも面白くない、というよりもテレビを見てて日本語が聞こえてくることに対しての違和感が私にとって強すぎてテレビを見ることができなかった。そのため即Netflixへ加入をする。(しばらく無気力状態が続く。)

 

でも、このままじゃいけないと思って、友人のつてをたどり職探し。

1週間ほどで面接までにたどり着く。(割と早かった)

 

緊張もあり、帰国後にきちんとした日本語を話していない・聞いていないこともあり完全なルー大柴状態。自分でも何言っているのか自分でわからなくなる始末。

それでもとてもいい上司の方にめぐり合い、好条件で雇ってもらえることに。

このタイミングでたまたま友人が引越しを考えていたこともあり、同居しようという話になり、都内に家もすぐに見つかる。

ぽんっぽんっぽんっとことが進む。

 

でも気持ちは追いついてなかった。(この時の私は生活することに必死すぎて自分の気持ちに気づいてあげることができていませんでした)

 

その半年後に頑張りすぎ病(いわゆる抑うつ状態)になってしまうのですが、そのお話はまた後日。

 

それでもせっせと生きて今に至っていることに感謝です。

 

ここまで来れたのは本当にたくさんの良縁に恵まれたからだなあと思っています。

私にしか結べないご縁というものがあって、私だから結べたご縁というものがあって。

 

タラレバじゃないんだけど、

もしこのタイミングで帰国していなかったら

大好きなおじいちゃんの最期を看取ることも

大切な人の存在感に気づくことも

自分の存在が大事だということも

自分を認めてあげるということも

自分を大切にするということも

これは自分の人生だと思えるということも

グレーゾーンは存在するということも

これでいっかと思えることも

不可抗力と戦う必要はなくて、流されてもいいと思えることも

 

できなかったんだなあ・・・と思う。

この「帰国」は私の人生のターニングポイントと言ってもいいぐらい大きな意味を持った1年間になりました。

 

全てのことに意味はある。

 

もし環境が変わってしまって不安に思っていたり、悲しい・寂しい思いをしている方がいたら、今の私だったら自信持って言ってあげられる。

 

どんなに悲しいことも苦しいと思うことも悩んでいることも必ず意味がある。

今はいまに集中する。

結果に向かって努力すると評価がつきまとうから、

結果に向かって頑張るよりも今をベストに生きてみる。

そしたら気づいて振り返った時にちゃんと自分の足跡になってる。

 

I,My,Me,Mine

 

そうそう。大事なのは「あたし」ね。

 

Lulu.

 

 

 

fiancé VISA タイムライン

私が他の方々のブログに非常に助けられた内容といえばこの内容。

 

『フィアンセビザのタイムライン』

 

進捗状況ってやつですね。

 

2018.03 上旬    I-129F作成開始

2018.04 中旬 I-129F(やっと)提出

2018.04.23      UCSICから受理したよってメールが彼に届く

2018.05 下旬 彼がNOA1を受け取れなかった。再度送付してもらう。

2018.06 中旬 NOA1(やっと)受理

ここからが長いです。

2018.10.16      NCVからI-797[NOA2]が届いていた。(またもや彼はその日のうちに受け取れなかった、なぜなら引っ越したばかりでポストの鍵を前住居人から受け取れなかったから)よってその手紙に気づいたのは発行後から10日後の26日。

2018.11.18 日本在アメリカ大使館から届くはずのインストラクション通称”パケット”が1ヶ月過ぎても届かない。みんなのブログを見てると大体2週間以内には受け取っているから心配になったし、NOA2の紙に『30日以内に連絡なかったら連絡ちょうだいね』って書いていた。彼に早急にNCVに連絡するよう指示を出し、してもらったところ『16日にケース処理が終わったところ』と言われたとのこと。

2018.11.28 NCVから『東京大使館にレター送ったからね』と彼にメールあり。

 

 

I-129Fが最初の関門でした。お互いFace to faceじゃないし遠距離だから喧嘩するわ、思いは伝わらないわ。何度も「その気がないならこのプロセスやめよ」と思ってもいない暴言を吐いて彼を困らせるは、お互いに良い雰囲気は流れてなかった。

お互いのいいところも悪いところも露見するわけです。

例えば私はスーパーせっかちで早く何事も終わらせたいんだけど、間違いがちょいちょいある。彼はのんき。超マイペースだけど、すごい慎重。確認作業が得意。この彼の性格のおかげで「書類に不備」があっての返納的なのはなかった。

だから書類をバーって作ったり写真を集めたりIntent marry letter を作ったりする作業は私がして、修正を彼にしてもらうことでこのI-129Fは乗り越えました。(弁護士いなくてもできた!)

私自身が気持ちを変えましたね。彼ばっかりに頼るのは良くない、彼がケツ叩いても動かないなら私が動こう!って思ってから完成、提出までが早かったです。

 

大変だったけど絆が深まった感じあります。

 

余計なお話を一つ。

Proof of relationshipで写真を複数枚提出しないといけないんですが、私たちこのプロセスにたどり着くまでの流れで実は一度別れていたんです。だからその時にアメリカ在住中の彼との写真を全て削除していたため共通の友達からデーターを集めるところから始まりました。でも、その写真たちを見ることでいろんなことを思い出すことができて楽しかったな。

 

例えば、喧嘩したまま行ったお花見で彼が「写真は撮らない、楽しくないのに笑えるもんか」と子供みたいなことを言い出して怒っていたけれど一緒に行った彼の大親友が「撮ろうよ、せっかくだから」と促してくれてようやく撮った一枚。

 

まさかの彼、無表情ってゆう。わら

確かに。笑わない宣告してたわ。

 

USJスポンジボブと一緒にジャンプしている一枚。(だって第三者が写っているといいって言ってたもん・・・)

 

などなど・・・おふざけ気味の写真も含め5枚程度提出しました。

 

Picture is louder than words.

 

Lulu.

 

授業はじまる。

一番最初のクラスに衝撃をうける。

 

本の学校とはシステムが全くもって違う!

 

テレビで見てたやつ!が一番最初の感想。

 

みーんな自由。

先生もラフ。机の上にフツーに座ってる。

 

クラスの決まりごとは先生ごとに違いますが全ての先生が言っていたのは

「Don't use phone during class」

当たり前だよねーとか思っていたら大間違い。

 

当時SnapChat(通称:スナチャ)が大流行していた。

スナチャが何か?と思いでしょうが、授業中にセルフィーが始まる。

これにはアラサーおったまげる。

先生、使うなって言ってたどころかセルフィーしてる・・・。

 

先生も知ってるのかどうかわからないけど、見て見ぬ振りの先生もいれば、怒る先生もいたなあ。

 

クラスの時間はクラス内容によって全然違います。

選べる科目もクラスのレベルによって全然違います。

グラマー(文法)は共通でしたが、リスニングやスピーキング、カンバセーションは本当に選択次第でした。人気科目は争奪戦になることも。

 

先生によってクラス変更をしていた人もいたけれど、そのぐらい先生も千差万別。

ホームワークが全くない先生もいれば鬼のようなホームワーク量を提出するように言ってくる先生もいました。

アジア人はちゃんとホームワークやってました。さすが。

当日の朝にクラス中の子に見せてとお願いしてやっている子もいました。

 

テストはセミスター(3ヶ月ごと)にあって、それで成績が決まります。

基本的にカンニング行為には厳しいアメリカです。カンニングが発覚したら「Kick off」と言って国追放ですね。学校どころでは済まされない。

 

なのに。

平気でカンニングするお国柄の方々もいるわけで。

明らかにバレバレで先生も「携帯しまえ」とお怒りなのに「携帯出してない」と言い張る子もいました。それか「昨日子供が熱出しちゃって勉強できなかった」と言い張る子もいました。Excuseが非常に得意。

 

私は大学付属のELSに9ヶ月いたところで、コミュニティカレッジに転校しました。

理由は飽きたから。

コミュニティカレッジは当時かなりマイナー化していて、非常に少人数でした。

日本人は私だけでした。

13人しかいないクラスなのに、全員国籍が違いました。年齢もバラバラ。

宿題は大学付属以上に山盛りでしたが、レベルが高かったです。先生は厳しいけどすごく優しい先生が多かった。(3人だけでしたが)

授業料は圧倒的に安いです。4ヶ月のセミスターで大学付属のELSよりも10万近くお安い。

 

 

Lulu